加藤自動車相談所

加藤自動車相談所の歴史

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株式会社加藤自動車相談所
代表取締役 加藤健司

はじめに

徳島県で№1の車検整備台数を誇る我が社は、昭和25年に創業した老舗の整備工場です。
点検修理台数約16,000台、車検整備台数約6,500台と、年間でおよそ22,500台もの自動車を取り扱っています。
しかし初めからこんな規模だったわけではありません。
色々な経験を経て、今日の姿に成長することができたのです。
ここではその歴史をかいつまんでではありますが、ご紹介したいと思います。

昭和25年創業

徳島市南前川町にて、自動車専門代書屋として創業。後に「車の修理はやってないの?」と、よく言われるようになり、中前川町(現在の徳島店)に移転。整備工場の経営が始まった。高度成長期という事もあり、順調にお客様も増え、売り上げも伸びていった。
車両販売も順調に推移しているようだった。父親に連れられて、大阪へ仕入れに連れて行ってもらったことを今でも覚えている。
大阪港からフェリーに車を載せて沖洲の港に着いたとき、既に同業者の方が港で待っていて、この車を分けて欲しいとその場で商談していた。
フェリーの中で一升瓶片手にお酒を飲んでいたのもこの時代ならではの事ではないだろうか、今ではとても考えられない。
当時は一カ月の間に第一日曜と第三日曜の2日間しか休みが無かった。今では月に2日しか休みがないというのは考えられない、当時の人は良く働いていたのだと感心する。

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大阪での修行を終え帰ってくる

昭和54年に阿南高専を卒業して、3年間、大阪の自動車整備工場で修行をさせてもらい、その後、徳島に戻り加藤自動車相談所に入社。
帰って来たときに父、加藤正明が私の為に「勉強する場」が必要と考えロータスクラブに加入していた。
県下のロータスクラブの社長さんに多くの事を教えてもらったり、刺激をもらい発奮した時代。
しかし成績はどん底の時代でもあった。仕事は暇というわけではなかった。でもなかなか黒字にはならなかった。忙しいのに赤字になるというのが当時はよくわからなかった。
どうすれば黒字になるのか、それを懸命に模索した時代でもあった。

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販売車を初めて展示

販売車輛を展示しているお店が羨ましかった。少しでも良いから販売車輛を展示したい、という事で軽自動車を2台だけ並べた。

当時お客様から中古車の注文を受けたときに徳島県内を車で走り回った。そう簡単に見つかるものではなかった。走りながらいつも思うことがあった。
「自分の店も販売車輛を並べたい。」当時はその6台7台並べている店でも羨ましく見えた。当時の会社の力では軽自動車2台を展示するのが精一杯であった。
月に1~2台売れた。当時はその台数でも嬉しかった。

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平成2年 オートザム城山をオープン

車をもっともっと販売したいという気持ちはずっとあった。今の整備主体の工場では発展は見込めない。危機感は大きかった。
そんな時にオートザムのディーラー経営をやらないかと声がかかった。私は飛びついた。平成2年に「オートザム城山」という店名で今の徳島店の場所にオープンさせた。
販売車第1号はキャロルだった。このキャロルは若い人に受けた。かなりの台数が売れた。これならやっていけると、その時は確信した。
しかし、2台目以降は思ったように台数は伸びなかった。場所が大通りから入ったところにあり、隠れた場所であったので、お客様からは「お前の店はわかりにくい」と言われた。
それでも顧客満足度全国第5位になったことは大きな自信となった。しかし、販売台数は年を追うごとに減少し続けた。これではまずいと焦燥感の強い時期でもあった。当時の職人の手には工具ではなく、いつもホウキを持っていた。

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平成6年 不安いっぱいの中でコバック徳島店オープン

一冊の雑誌からコバックの事を知り縁をもらった。
コバック本部に見学も行った。見学させてもらい、私は鳥肌が立った。お客様が丁寧に「ありがとう」とお礼を言って帰っていく。普通はお店側が「ありがとう」と言う側なのに、と思いながら見ていた。
「お客様にこれだけ感謝される店を自分もやってみたい!」と強く感じた。父親に相談もなく、勝手に仮契約をして帰ってきた。帰ってきて会社の皆にコバックに加盟する事を説明した。
皆が反対した。
「こんな110坪の小さな工場でそんなにたくさんの車検台数を生産できるか」と言われた。しかし父には「お前がやりたいならやってみろ」と言われ、コバックをやることになった。
本当にやっていけるのかという不安の中で平成6年9月にコバック徳島店をオープンした。

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平成6年9月 コバックに加盟して初めてのチラシ

いざチラシを出してみると、電話が鳴りっぱなしの状態で車検の予約は順調に伸びていった。
同業者からは「安売り車検」とか「実際は整備をやっていないのではないか」と言われたりもした。
しかし全国コバック加盟店の社長の励ましもあり、「同業者に目を向けるのではなく、お客様に向けていこう」と自分自身に言い聞かせた。
その甲斐あってか、年間400台の車検台数がオープン1年後には1200台になり、2年後には1800台、3年後には2100台と伸びた。
しかし、徳島店の生産能力としてはこれが限界だった。道端でお客様のボンネットを開けて修理する、といったことが毎日のように繰り返された。
このままではお客様に叱られる、どうにかしないといけない、という焦りがあった。
どうやったら車検をもっと効率よく生産することが出来るか、そんな悩みを抱えていた。
高効率化されないまま車検台数は増え続けていった。

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平成9年10月 念願のコバック2号店 北島町に

徳島店はお客様の車であふれかえり、このままでは社内事故等リスクが高くなるし、お客様にもご迷惑をおかけするという事で、近くの(5km程離れた)北島町に平成9年10月2号店をオープンした。
この計画はズバリ当たった。徳島店のお客様も北島店の方に相当数移られ、徳島店の入庫台数問題も解消された。
今までが110坪という小さな整備工場でやっていたので、大きな整備工場を持つのは夢だった。
車を駐車するのに不便だった徳島店と比べると、駐車場に余裕のある北島店は全く違った。大通りに面した整備工場の強さも知った。当時はチラシを出さなくても、北島店にたくさんのお客様が来店された。

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平成12年 やっとできた鈑金工場

外注していた板金塗装、3日ほど代車に乗ってもらい、その間に外注先に鈑金してもらって、納品書を作成。
計算してみたら儲けはあまりない、全く面白くなかった。「それなら自分で鈑金工場を経営すればいい」と安易な気持ちで工場を作ってしまった。
簡単に鈑金が出来るというカーコンビニ倶楽部でスタートした。しかし、簡単に鈑金は出来なかった。
職人は一生懸命仕事をしてくれていたが、全く儲からなかった。
カーコンビニ倶楽部でスタートし、後にモドーリーへと転身していく。鈑金工場の経営の難しさを大いに知ることとなった。
後に、鈑金工場は加藤自動車相談所の利益の大きな柱となるのだが、そうなるのはまだまだ先の話である。

平成16年 夢の展示場をもった

板野郡藍住町に「新車のFシステム」をオープンさせた。担当責任者は現在の小野部長。順調な滑り出しだった。
しかし、月を追うごとに販売台数は減っていった。
当時この店を作る時に銀行からは反対されていた。「派手に見える中古車屋さんも、あまり儲かってないから、やめた方が良いですよ」と言われていたが、それに逆らってオープンさせた。
その事もあって、意地でも失敗は許されないという気持ちが強かった。
オープンから半年後に未使用車の販売を始めた。これが良く売れた。この時、販売でもやっていけると自信を深めた。

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平成22年 初めての元旦から未使用車の初売り

元旦から仕事はしたくないと思いつつ、初売りをコバック北島店で開催。
元日の朝6時頃、まだ真っ暗の中、北島店に行くと既にお客様が3組来ていた。これにはびっくりした。
お客様に待ってもらいながら展示車輛の洗車を皆で始める。指がちぎれそうな思いで全車輛を洗車した。
全車輛を洗うのに2~3時間かかった。そして初めての初売り、まさかまさかの台数が売れた。
初売りをしながら「元日から車を買いに来る人もいるんだな」と不思議に思った。

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平成24年 藍住から北島へ

月に100台ぐらいは販売したいという思いがあり、今の20台の展示では無理だということで、100台くらい展示出来る場所を探すことになった。
石井町から鴨島町を中心に車で走り回って探した。そんなのが1年ぐらい続いた。 なかなか良い場所が見つからずにいると、コバック北島店の前に田んぼがあるのを見つけ、地主さんに交渉した。
交渉には1年ぐらいかかったが、快く土地を貸してもらい、平成24年 無事にカラフル!北島店をオープンさせた。

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平成27年 コバックとカラフル!を併設した国府店をオープン

コバック北島店とカラフル!北島店を見て、間を道路で隔てられていることに、弊害を感じていた。
この道路さえなければもっとスムーズに流れるに、と思った。コバック北島店がオイル交換であふれかえっているのを見て、もう1店舗作ろうと検討した結果、国府町に作る事になり、平成27年4月 販売と整備の両方を兼ね備えた、コバック&カラフル!国府店をオープンさせた。
これでコバックが3店舗となり、平成30年には車検台数が3店舗合計6,500台を達成した。
心配していた鈑金事業も18年経ってやっと安定した利益が出せるようになってきた。
最初いやいや始めたレッカー事業ではあったが、まさか年間5,500件も出動するとは思わなかった。 現在、かなりの太い柱に育ってきた。

以上のような経験を経て、今日の加藤自動車相談所となったのです。

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中古で買ったレッカー車第1号

これからもコバック・カラフル!・モドーリーの3本柱で皆様に愛される店となるように努力していきたいと思います。

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